郡山北ロータリークラブ|国際ロータリー第2530地区/中央分区
深澤 純一会長
コロナが最近また増え始めています。当クラブでは現在2人の方が感染しています。気を付けて頂ければと思います。
猛暑が続く9月ですが、最低気温が8度を下回ると紅葉が始まるそうです。今年はどうでしょうか。
先日のゴルフコンペでは7名参加で高橋潤会員が初参加、初優勝に輝きました。再入会の近藤修二会員も参加され、いつもとは違う雰囲気で楽しめました。
11月には秋の小旅行もありますので、皆さまにはできる限り参加して頂ければと思います。
1,10月プログラム確認と11月プログラムについて(佐藤成俊プログラム委員長)
2,いわき豪雨の対応について(会長)
– 早川ガバナーエレクトに相談したところ、第2530地区で統一して対応するそうです。
3,猪苗代湖水草清掃及びBBQについて(大竹幹夫社会奉仕委員長)
– 10月8日(日)に参加予定。参加希望者が少ないのでバスはキャンセル、各自で移動。ファミリーホームいぶき・ゆづきの皆さんもバーベキューに参加します。
4,福島地区大会参加人数。交通手段等について(会長・幹事)
– 次年度のホストクラブとしてのあいさつがあるので、お忙しいとは思いますが、できるだけ皆さんに参加して頂ければと思います。
5,ガバナー公式訪問について(会長)
– 別紙参照
早川 敬介ガバナーエレクト
この会場近くの七ツ池町にガバナー事務所が開設されました。7月1日からその事務局を勤めている齋藤恵さんをご紹介致します。これから2年間お世話になります。佐藤和夫地区幹事と共に宜しくお願い致します。本日佐藤地区幹事に入金済みのガバナー事務所維持管理費をお渡し致します。
昨日はガバナー補佐予定者の研修会を開催しました。次年度に向けて粛々と進めております。皆様のご協力宜しくお願い致します。
吉仲 真也幹事
ライラ研修報告書をご覧ください。
その他、佐久間島江親睦活動委員長より、11月の秋の小旅行のご案内、大竹幹夫社会奉仕委員長より10月8日の猪苗代湖水草作業についてお話がありました。
棚木 敏彦会員
新入会員の棚木敏彦(たなき としひこ)と申します。私は昭和50年10月29日生まれの47歳です。家族構成は、妻、中学1年生の息子、小学4年生の娘の4人家族です。私の姉弟関係は、姉と二卵性双生児の弟がいます。弟とは顔も似ていないですが、性格もまったく真逆で、小さい頃から喧嘩ばかりしていました。最近はお互いに歳をとったせいか仲良く話せるようになりました。
趣味は、コロナ禍になってから始めたウォーキング、ジョギングです。少しでも日頃の運動不足の解消と、ダイエットを兼ねて始めました。今では考え事を整理するのにいい時間だと思って、空いている時間があればしています。もう一つの趣味は、結婚してからは、収集という程集められてはおりませんが、スニーカーとジーンズは高校生ぐらいからずっと集めております。
職歴は、高校を卒業してすぐに、この印刷業界に入り、途中少し回り道をしましたが、約30年間この業界で働いています。仕事を続けられてきた事に改めて、ビックリしています。この印刷業界に入るキッカケは、家が印刷業だったということもありますが、やはり物心つくぐらいから両親の働く姿を見ていた事が大きいと思います。
特に父は私たちが朝起きる時には、家にはいなくて、帰りも私たちが寝る時間に帰って来ることはなかったように思います。何も用事がない日曜日は一日中寝ている事もあったようです。そんな苦労を見ていたので、少しでも両親の手伝いをしたいと思い、この業種を選びました。
社名の「センター写植印刷」は、印刷業界ではない方と名刺交換した際に、よく写真屋さんと間違われます。写植ですが、こちらは写真植字(しゃしんしょくじ)を短縮したのが「写植(しゃしょく)」です。写真植字は印刷そのものの技法ではなく、文字組版の技術です。金属の鋳造により活字の代わりに、写真と同じく、レンズや印画紙を使って文字を組む技術です。センターは、いつもお客様の真ん中にいられるようにという思いを込めて、付けたと聞いております。
棚木という姓は珍しいと思いますが、両親に聞くと郡山市に棚木姓は4件くらいで約20人、県内には約500人おり、会津若松に多くいるようです。親戚に聞いた話だと石川県に棚木城(たなぎじょう)があり、戦に負けて会津に流れてきたそうです。棚木城は棚木左近が450年前に築城、現在の所在は石川県鳳珠郡能都町宇出(いしかわけん ほうすぐん のとちょう うしつ)遠島山公園内にあり、築城は、応仁の乱の頃の1467年~1469年とされています。特に能登国(のとのくに)の海防に秀でた城とされ城下にある入り江には警備船が係留し常に戦に備えていたと云われています。
天正5年(1577年)、本家畠山家(はたけやま)の居城である七尾城が上杉謙信の侵攻を受け、棚木城も命運を共にしたと伝えられています。天正10年(1582年)、復権を狙った棚木氏の末裔 長 景連(ちょう かげつら)が棚木城に入城し、織田軍と敵対しますが、同族で前田家の与力に組み込まれた長 連龍(ちょう つらたつ)の攻撃を受け落城しています。
以上で棚木城の説明となります。画像の棚木城の御朱印は、昨年両親が頂いてきたものです。私もいつか子ども達を連れて行きたいと思います。