郡山北ロータリークラブ|国際ロータリー第2530地区/中央分区
国府田 明弘 会長
昨夜の日本シリーズは遅くまで延長戦になり今日は寝不足気味です。
コロナは小康状態でしたが、また少しずつ増える傾向にあり、お正月過ぎには第8波がくるのでは、と予想されています。これまで同様感染防止対策に努めて頂ければとお思います。
23日には「ポリオ撲滅運動」の募金活動にご参加頂きました吉田幹事、吉仲副幹事には大変お世話になりました。深沢会長エレクトにもご協力頂きありがとうございました。「ロータリーってどんなんことを?」と聞かれた時に「小児麻痺って昔はあったよね。でも今の日本では無くなったでしょう?ワクチン接種のおかげなんだよ。ロータリーでは世界からポリオを根絶しようと、過去35年以上活動しているよ」と教えると、皆さん納得してくれます。
また、この土、日曜日には東京港ロータリークラブさんから吉田喜一さんと交友がある方々とご一緒にゴルフ、テニスをグランディ那須白河で楽しみました。ロータリーは親睦と奉仕の両輪がうまく嚙み合って成り立ちます。私は今回募金活動と港ロータリークラブさんとの親睦を深めることで、で改めてそのことを感じました。
11月には秋の小旅行もありますので、皆さんご参加下さい。ワクチン接種証明書を出せば、お買物券など特典が付きますので、お楽しみ頂けます。
吉田 幹治幹事
「ポリオ撲滅運動」駅前広場での募金に5万9千円集まりました。
黄色のジャンパー・帽子で揃えました。ロータリーは過去35年以上にわたり身体麻痺を引き起こすポリオから守ってきました。
安積国造神社宮司 安藤 智重氏
安積国造神社宮司、安積幼稚園理事長.安積艮斎を研究し著書多数。
儒学とは、 幕末明治の人々に大きな影響を
儒学とは儒学であって儒教ではない。今の政治学・社会科学を言います。
艮斎は儒学思想を実践の学・社会変革の学として捉え直します。幕府は朱子学を重んじ行動原理としており、中国、朝鮮、ベトナムなども朱子学を支え平和を守っていました。艮斎は朱子学を主としていましたが、それにこだわることはなく善い考えは採用し、自由平等思想を広めました。その頃の西洋は戦争ばかりしていた時代です。儒学は合理思考で幕府の対外交渉力の源であり、幕府儒官が外国との交渉を支えていたのです。幕府は弱腰外交などと揶揄されましたが、よく読み直すと当時の幕府はいかに交渉力があったか分かります。艮斎は昌平坂学問所で儒官となっていました。教え子には岩崎弥太郎、小栗上野介、吉田松陰、前島密をはじめ、3000人を教育したとも言われております。幕末明治の人々に影響を与えた教育者でした。アヘン戦争による清国の惨敗に危機意識を強め、国防論「洋外紀略」を著します。
ペリー来航ではアメリカの国書(漢文)を和訳し、国論が攘夷策・開国策・回答延引策に分かれる中、回答延引策を主張したのです。ペリーのつじつまが合わないことを指摘して、高い関税を掛けることに成功していました。なぜ、その後関税が安くなってしまったかというと、尊王攘夷派が悪さをしたために、その都度引き下げられてしまったのです。
漢文は東洋と西洋を結ぶ言語で複雑な人間社会を表現可能にします。西洋文明を理解するには漢文が大事で、森鴎外、夏目漱石なども漢文学の影響を強く受け基盤としていました。艮斎は文豪でもあり、西洋文学の影響を受けていましたが、漢詩文にも親しみ、儒学者・文豪・教育者という3つの顔を持ち、みな頂点に達していました。
世界に目を向け、弟子を開眼させたバランス感覚のよさで「洋外紀略」を
安積国造神社神職の家の三男として生まれ、西洋世界にも目を向けていたことは、実学書「洋外紀略」を読めばよくお分かり頂けます。正確な世界史的知識を元に、戦争を回避し、大船建築など軍備を充実させよ、と冷静な国防論を展開しています。
門下3千人、偉人排出、稀代の教育者
<主な門下生>
・岩崎弥太郎:三菱財閥 東洋の海上王 艮斎塾に1年刊学ぶ
・小栗上野介:横須賀造船所建設 日本の重工業を開く。日露戦争勝利は造船所のお陰
・吉田松陰:明治維新の指導者 松陰の言葉は艮斎間話を大いに参考
・前島 密:郵便の父 官の前島、民の岩崎で海運を開く
・秋月 悌太郎:会津藩の儒将 維新後は東大教授
日本八大家とされた艮斎
艮斎は山水愛好の趣味があり、時には文人が未踏だった地にも分け入って詩文を読んでいます。山水を学ぶ理由は、道徳的な勇気を養うためでもありました。
万延元年(1860)11月に艮斎は昌平坂官舎で70歳で世を去りました。3月、桜田門外の変があった年です。
私も郡山で実践の人、艮斎を少しでも広めていければと思います。
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左から早川ガバナーノミニー、国府田会長、安藤智重氏、初瀬ガバナー補佐、吉田幹事
「先週5人で行って参りました」と佐藤和夫会員